1 相続放棄とは
「相続放棄によって,被相続人に属していた一切の権利義務が,相続人に当然帰属する効果を拒否する行為(相続の効果を相続開始の時に遡って消滅させる意思表示)」(遠藤浩ほか編・有斐閣双書民法(9)〔第3版〕141頁)をいいます。
被相続人の相続財産全てを相続しないこととするもので,主に相続財産が専ら借金のみのとき等に使われる手法です。
相続放棄は,家庭裁判所に対する放棄の申述という方法で行います(民法938条)。
管轄裁判所は,相続が開始した地,すなわち被相続人の最後の住所地の家庭裁判所です(家事手続法201条1項)。
2 相続放棄のメリット・デメリット
(1) 相続放棄のメリット
相続放棄をすると,はじめから相続人ではなかったものとみなされます(民法939条)。
その結果,被相続人の借金を代わって支払う必要はなくなります。これが相続放棄のメリットです。
(2) 相続放棄のデメリット
マイナスの財産である借金から免れることができますが,預貯金や不動産といったプラスの財産も相続することはできません。
仮に,マイナスの財産を上回るプラスの財産(不動産や株券,現金,預貯金等)が後から見つかっても,相続放棄を原則として撤回して相続することはできません(民法919条1項)。取消ができるのは,一定の場合に限られています(民法919条3項,4条,9条,12条1項6号,3項,96条1項,864条,865条)。
また,相続放棄の場合には代襲相続が認められません。代襲相続というのは,相続の開始前にすでに相続人が死亡していたり,相続欠格や廃除といった事由によって相続できない場合に,その相続人の子が代わって相続するというものです(民法887条2項参照)。
相続放棄をした場合は,最初から相続人ではなかったとみなされるのですから,その子供が代わって相続をすることもできません(昭和37年の改正により学説の対立があった点を解消したものです)。
3 相続放棄のできる期間(熟慮期間)
相続の承認・放棄は,自己のために相続があったことを知った時から3ヶ月の期間内にしなければなりません(民法915条1項)。この3ヶ月の期間を,熟慮期間といいます。この熟慮期間内に相続放棄又は限定承認の申述をしなければ,被相続人の全ての権利義務を承継することになります。
熟慮期間は,相続人の保護を図るための期間ですが,その反面,相続債権者にとっても,相続関係における権利関係をなるべく早く確定させようとする趣旨であるといわれています。すなわち,いつまでも相続をするのか放棄をするのかが決まらないと,被相続人の債権者は,一体誰に借金の支払いを請求すればよいのかがはっきりせず困ってしまいます。 そのため,相続放棄をすることができる期間には制限があるのです。
なお,相続人が複数いる場合は,この期間は各相続人ごとに別々に進行します(最高裁昭和51年7月1日判決・家月29巻2号91頁)。
この「自己のために相続の開始があったことを知った時」とは,相続人が事故のために相続の開始があったこと,すなわち,相続の原因たる被相続人の死亡の事実を知り,それによって自分が相続人になったことを知ったときから起算します(民法915条1項本文)。
例えば,夫と妻が同居しており,夫に借金があることを妻が知っていた場合,夫の相続に関しての妻の熟慮期間は,その夫が死亡したことを知った時から進行します。
相続人が未成年者又は成年被後見人である場合は,その法定代理人が未成年者又は成年被後見人のために相続の開始があったことを知った時から熟慮期間が進行します(民法917条)。
4 3ヶ月を経過しても相続放棄ができる場合
相続開始後3ヶ月を経過して,後で借金の存在を知ったという事例について,
最高裁判所第二小法廷昭和59年4月27日判決・民集38巻6号698頁は,次のように判示し,特別の事情という枠組みで救済することを明らかにしました。
「民法915条1項本文が相続人に対し単純承認若しくは限定承認又は放棄をするについて3か月の期間(以下「熟慮期間」という。)を許与しているのは,相続人が,相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った場合には,通常,右各事実を知った時から3か月以内に,調査すること等によって,相続すべき積極及び消極の財産(以下「相続財産」という。)の有無,その状況等を認識し又は認識することができ,したがつて単純承認若しくは限定承認又は放棄のいずれかを選択すべき前提条件が具備されるとの考えに基づいているのであるから,熟慮期間は,原則として,相続人が前記の各事実を知った時から起算すべきものであるが,相続人が,右各事実を知った場合であっても,右各事実を知った時から3か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが,被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり,かつ,被相続人の生活歴,被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって,相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには,相続人が前記の各事実を知った時から熟慮期間を起算すべきであるとすることは相当でないものというべきであり,熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である。」
5 相続放棄申述期間の延長
相続人が,自己のために相続の開始があったことを知ったときから3か月以内に相続財産の状況を調査してもなお,相続を承認するか放棄するかを判断する資料が得られない場合や,相続財産の内容が複雑で債務の存在や金額を確定するために相当の時間がかかるような場合には,家庭裁判所に対して,熟慮期間延長の申立てをすることができます(民法915条1項但書,家事手続法201条1項,同法別表第1の89)。